がんになりました

公衆衛生医が乳がん治療中に体験したこと、調べたこと、感じたこと、考えたことを記録していきます。

手術痕

やはり、一般の患者さんと少し違うところがあるということは、自覚しています。

乳がん患者の体験談などを読むと、乳房を失うことへの思いを語っているものも多いです。喪失前の写真を撮る人も少なからずいるようで、そういう患者さんたちを対象としたサービスもあるらしいです。

私の場合も、その点を心配してくれた友人がいましたが、友人たちの心配をよそに、自分としては心理的ダメージはほとんどありませんでした。

もう、いい年をしたおばさんですから、年齢的に乳房を失うことに伴って、他に失うものがあまりない、ということも多少はあるのかもしれません。でも、やはり「どうなるか知っていた」ことが大きいのではないかと思っています。

20数年前とはいえ、乳房切除をしていた側でした。若い時に体で覚えたことはなかなか忘れないもので、今同じ手術が自分でできるとはもちろん思いませんが、手術手順をかなり鮮明にイメージすることができます。どんな傷になるかもよく知っています。

術前化学療法で約半年待たされたて、やっと手術!ということもあってか、手術前夜は手術手順を懐かしく思い出しながらぐっすり眠りました。まあ、こうなるとちょっと異常かもしれません。

私のような例外的な患者のことは、さておき、看護学では、ボディイメージ変容や乳房喪失をケアすることの重要性などが論じられているようです。体の表面の手術ですから、やはりがんそのものの治療だけでは、十分ではないということでしょう。

それから「知っていること」の治療への影響について、やはり看護学からですが、ヒントをひとつ見つけました。小児看護学には「プレパレーション」という概念があるそうです。「治療や検査を受ける子どもに対し、認知発達に応じた方法で病気、手術、検査、その他の処置について説明を行い、子どもや親の対処能力を引き出すような環境および機会を与えること」と定義されています。

「認知発達に応じた方法で」ということで、インフォームド・コンセントの適応とならない子どもを対象とした考え方であり、また、単にあらかじめ何が起こるか知っているようにする以上の概念のようですが、インフォームド・コンセントを経ても、治療に不安をもつ大人が多い中で、参考にできるところがあるのではないかな、と思っています。

これは、後日談になりますが、元スイマーの私は、この歳になっても結構胸筋が発達しているようで、傷痕の下はいい感じの胸板になっています。

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まさか、傷痕のしゃしんをあげることもできないので、最近はまっているスフレプリンなど。どちらもおいしいですが、自分的には左が好みです。